「凪のお暇」という、私にとって特別なドラマ。

「凪のお暇」は、私にとって特別なドラマになりました。

「はははは…さすが…あなたが選んだ人ね凪。昔からそうだもんねえ。あなた、なにやらせてあげたって、何一つ身にならないじゃない。お母さんの期待に応えたこともない、一度だって。その挙句がこれね。はあ…みっともないご家族…。行くわよ凪。…凪!」
「嫌い…嫌い。お母さんがずっと。罪悪感煽って言うこと聞かせようとするところとか、外ではいい人ぶるところとか。自分もできないようなことを、私に期待するところとか。…嫌い」
「なにをいっているの…?!」
「だけど、お母さんかわいそう。ひとりぼっちだから…前の私みたいに。周りに誰もいないんだよね。本当の気持ちこぼせる人。だから私が必要なんだよね」
「…行くわよ!」
「ごめん…私、お母さんのためには生きられない。自分で何とかして。私も自分で自分をなんとかするから。期待に応えられなくてごめん」
「いい加減にしなさい…」
「期待に応えない自分の方が…みっともない自分の方が。私、生きてて、楽しいんだ」

涙がこぼれました。これは、私だ。

自分の期待通りにならなければ不機嫌になり、キレ、周囲に当たり散らすアダルトチルドレン。そんな親の顔色をうかがう、不安定な子供。モンスターに立ち向かうためにいつしか私は、自分自身がモンスターになりつつあった気がします(´・_・‘)

私は、絶対に自分の子供が欲しくなかったし、妹に子供が生まれて、その姪っ子がまた本当に可愛かったけど、意識して距離を置くようにしていました。悪影響を与えるのがこわかったから。

自分を大きく見せることで。親の期待を損ねない立派な人間を演じることで、親の機嫌を損ねないようにする。それでほころびが出たら逆ギレし、何が悪いコレが悪いと、外部に原因を押し付ける。そんな人間は必ずいつか、身近にいる子供、弱い立場にいるものを傷つける。

「これは、私だ」と言ったのは、つまり凪も凪のお母さんも私だ、ということです。こうして毒親の連鎖はかたちづくられる。それが十代のころからおぼろげながらに見えていたので、私は十代にして「私は、一生子供を作らない」と決意していたのです。

今になってようやく。親との交流を完全に絶って自分を客観的に見つめなおしてようやく、自分が持っている「ハリボテの盾」の存在に気づき始めました。

もう、今の自分の人生の中に、毒親はいない。周りは、信頼できるしっかりした人たちばかりだ。もう自分を大きく見せる必要はない。他人からのキビシイ指摘を「見せかけの自分」という盾でブロックしていたら。ごまかしたり、適当な受け流しをしたりして弱い自分を守っていたら、本当の自分の成長を阻害してしまう。今は、そんな風に考えています。

そう考えるに至った多くのきっかけの中の、大きなひとつが先の凪のセリフです、
「みっともない自分の方が。私、生きてて、楽しいんだ」

↓みっともない女装おじさんかもしれないが、私は私で生きていく。

…割と重めのハナシになった気がするので、軽めの締めを。みっともない自分で生きていく。これを、草野球のキャッチャー、と言います、「(予算が無くて買えないから)ミットもない」ということです。by 武田鉄矢。

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